熱鍼快療術
平田内蔵吉
明治34年兵庫県赤穂市に生まれた平田内蔵吉氏は、大正14年京都大学医学部に入学しました。
在学中に義母が胆石病を患った時あらゆる西洋医療を施したが無効であったところ、加藤幾太郎氏の無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治。以後鍼灸の分野へ進むきっかけとなりました。

昭和2年、鍼灸や温熱などの物理療法と心理学的効果の総合化を志し、加藤幾太郎氏の大日本温熱療法研究所に入所。

昭和5年「平田式心理療法-熱鍼快療術」を発表。
その後、人体の経絡・経穴を日本で始めて電流を利用して再探索し、古来の東洋医学の経絡・経穴図と比較検討し、その選定と解剖学的な位置づけを行ったものが「平田式体表12反応帯」です。これは今日、鍼灸学会でよく知られ、鍼灸学校の教科書や成書にも記載されている「平田氏帯」のことであります。

昭和11年肥田春充氏と出会い、氏と共に同療法の研鑽を重ねていだが、昭和20年沖縄大里村で戦死されました。


参考文献:久米健寿氏著
      東洋医学の革命児「平田内蔵吉の生涯と思想・詩」
      たにぐち書店発刊

平田式心療法-熱鍼快療術
「鍼と灸は、その手技および器物を異にし、別々にこれを行い、且つ鍼は折鍼その他様々な不便を蔵し、灸は永久的な痕を残し、永久的な痕を残さないものは刺激効果が不十分であります。それで、これらの害を除き且つその手技を簡単なる一器械をもって兼用せんとする目的のため生まれたのが熱針療法であります。」(平田記)
平田氏は、鍼灸治療に於ける経絡・経穴への刺激が疾患の治癒に効果があることは、認めておりましたが、鍼治療に於ける折鍼や消毒の不完全からの感染不安や、灸治療に於ける患部の火傷による感染不安や長時間におよぶ熱刺激による神経の死滅等に危惧を抱いておりました。
経絡・経穴の研究を行っている内に、刺激は持続的な強熱刺激を与えるより、1秒間に2回以上3回までの瞬間的頻回刺激を与えることによって1階毎に反射刺激を起させるようにする方が生理学上効果的であることを突き止めました。
これらの事を総合的に考慮して、患部を傷つけたり火傷痕を残さずして瞬間的頻回刺激を与えることが出来る電気を利用した「熱針治療器」を開発したのです。

また平田氏は、治療に当たる際、患者の心理状態とくに感覚の状態に注意を払い、「患者が最も強い刺激を最も適当に感じる」部位を探り当てる事が、この療法の根幹であると申しています。
つまり、平田氏の心理療法とか心療法と言うのは、現代の心理療法(精神分析やカウンセリング)や精神療法、精神身体医学(心身医学)的なものでなく、感覚心理学を基調とした物理的刺激療であります。


昭和36年、

初代院長とその友人で

作成した、当院独自の

熱鍼心療器です。

まだまだ現役で使ってます。
熱鍼する先の部分は、

病状、年齢に応じて

付け替え可能です。(右図)
ポータブルタイプの熱鍼心療器。

当時、50台ほど作成いたしました。


型番も刻印されています。


東洋医学の革命児